NEOISM

NEOが己の思想・流儀・価値観や日記を綴るブログ

圧倒的な自由を手にしたとき、それでもなお求めつづけるもの

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福岡の門司港にて

 

「もし、住居も定まらず、追われているわけでもない、全ての義務から解放された圧倒的な自由を獲得することができたなら、自分は何をするのだろう」

 

2017年の秋、小雨の降る北九州・門司港の夜を一人歩きながら、ふとそんなことを思った。

 

「たとえば今、ゼミ合宿の一環でここにいるわけだけれども、もし戻らなければならない場所もなく、完全に一人でここにいるのだとしたら、今から何をするのだろうか、明日からどうやって生きていくのだろうか」


どんな素敵な観光名所に行ったって、どんな面白い店に行ったって、きっと心はあまり踊らない。そうしたいという強い気持ちはない。

 

何かを体験する、例えばスカイダイビング、スキューバダイビングみたいな、非日常のアクティビティ。それならやってみたい。

 

そして、やはり人。

魅力的な誰かと出逢って、散歩でもしながら互いの様々なことについて語り合いたい。

 

 

結局、そうなのだ。

以前タイを一人で旅したときも、幸せな感情とともに記憶されているのは、そこで出逢った誰かと向き合って密なコミュニケーションを取ったことばかり。

 

もちろん、色んなところには行ってみたいけれど、それは私にとってさして重要なことではないと感じた。

 

私は旅が好きだけれど、私が旅で求めているのは、行く場所でも見るものでもなく食べるものでもない。

観察ではない非日常的体験、密に触れ合う人々だ。

だから、それらが得られなければ、私の旅は常に空虚感が伴う。

これはきっと、これからも変わることはないだろう。

 

 

「圧倒的な自由を手にしたとき、それでもなお自分が求めつづけるものは何だろうか」

 

その問いを自らに投げかけてみたとき、何か答えが出てきたのなら、それが人生のコアとなるものであるに違いない。

 

 

2017.10