NEOISM

NEOが己の思想・流儀・価値観を綴るブログ

無難で安全なコミュニケーションばっかり取っていていいのか

 

会話は「言葉のキャッチボール」と表現される。

言葉を投げて、相手がそれを受け止めて、また言葉を返す。

 

上手い言葉が投げられずに相手が取り損なうこともあるし、相手の渾身の言葉を上手くキャッチできないこともある。

 

だが、キャッチしようとする姿勢は大切だ。

 

相手に共感できなくとも、怪しい人が何か言ってこようとも。

つまり、取りにくいボール球も、素直じゃない変化球も、一先ずキャッチしようと試みる。(受け止める)

そうしてキャッチしたボールを投げ返す(受け容れて返報する)かどうかは、捕ってから決めればいい。

 

一先ずキャッチするか、大して考えずに見限ってスルーするかは、相手の尊厳はもちろんのこと、自分自身にも大きく関わる。

もしかしたら何か大きな可能性を見過ごしてしまっているかもしれない。

キャッチするのは無理だ、キャッチする必要はないなどという根拠なき思い込みは、世界を徐々に狭めていく。

 

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大学2年生のとき、大学受験を控える高校生が対象のイベントを告知するビラを、とある進学校の校門前で放課後に配る機会があった。

 

ビラを手渡せたのは2-3割程度。大半にはスルーされた。

居酒屋のキャッチはよくスルーされるが、キャッチとはそういう運命にあるのだろう。

 

こちらの存在に気付いた瞬間、露骨に避けてくる者。

話しかけると俯いて足早に立ち去ろうとする者。

まだ内容を何も言っていないのに「要らないです」と言い放つ者。

 

彼らに共通するのは「内容を知る前に切り捨てている」ということ。

そんな短絡的な心の在り方では、いつまで経っても世界が拡がらないし、機会を逃し続けることになる。

 

ビラを受け取ること自体は、

・ビラを読むことに時間と労力がかかるという点

・ゴミとして処分する必要に迫られるという点

という些細な点以外にデメリットはなく、リスクすらないというのに。

 

 

「怪しい人にはついていかない」とはよく言われる。

確かに大切な姿勢だ。

しかし、たとえついていかずとも、

「怪しい人にもまずは耳を貸してみる」

この姿勢が多くの人に欠けているのではないか。

 

 

まずは偏見を捨てて聞く耳をもつこと。

そしてしっかり咀嚼して、自分の中に落とし込んで、それから判断すればいい。

 

むしろ、怪しい対象、違和感を抱く対象こそ、関わる価値がある。

今とは違う新たな世界を覗くことができるからだ。

 

 

私はというと、

渋谷の公園に集うホームレスたち

新宿で狂った路上パフォーマンスをする老人

歌舞伎町のイカついアフリカ人のキャッチ

公共の場で鼻血を垂れ流しながらハイになっている欧米人

幸福の科学やその他の新興宗教の信者たち

上海で話しかけてきた男女2人組と女2人組

指が2本欠けた全身入れ墨の広島のヤクザ

傷害や恐喝やらでムショに入っていたオレオレ詐欺師

コロンビアの麻薬の売人とその仲間たち

ペルーのシャーマンとその仲間たち

歌舞伎町で夜のグレーな仕事に就く人たち

 

など、世間に忌避されたりいかがわしいと思われたりしがちな部類の人たちと絡む機会が度々あったが、最初にシャッターを閉めることは決してなかった。

相手が誰であれ、彼らと人間として向き合おうとした。

その結果、失敗することもあったけれど様々な世界を見ることができたし、大きな学びを得られることが多かった。

 

 

まとめ

 

リスクを考慮しつつ、身を委ねてみる。いざとなれば逃げられる余力を残しながら。

 

そんなオープンな心持ちでいれば、訪れる機会を掴み取り、新たな世界を知ることができる。

 

もっと、冒険しよう。

 

2017.??