NEOISM

NEOが己の思想・流儀・価値観を綴るブログ

マジックワード「コンディション」を言い訳にしていたら一生が終わる

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「シクッた」

 

中学時代によく発していた言葉。

"しくじった"の略語。

 

主に、試験などでケアレスミスを犯したときに使っていた。

 

その言葉の裏には「自分には本来は実力があるのに運悪くミスをした」というニュアンスを込めていた。

しかしケアレスミスだって「注意力という能力」が欠如したことによって生じるもの。

要は、実力不足を認めたくなかったのだろう。

 

 

そんな風に、運やコンディションを言い訳にする場面は多々ある。

 

単位を落としたとき―「勉強してなかったから」「授業行ってなかったから」。

スポーツで活躍できなかったとき―「昨晩はほぼ寝てないから」「朝から何も食べてないから」。

ディスカッションの場であまり発言できなかったとき―「眠かったから」「空腹で頭が働かなかったから」。

 

これらの弁明は、いずれも真実かもしれない。

 

しかし、

 

「じゃあ、もし万全のコンディションだったら何ができたの?

 

この問いを投げかけられたとき、果たしてどんな回答ができるだろうか。

 

 

本当にコンディションが悪ければ、確かにパフォーマンスは落ちる。

 

しかし、そのコンディションの悪さのせいばかりにしてはいないか。

もともと大した実力があるわけではないんじゃないだろうか。

本当は、コンディションが良くても大したパフォーマンスを発揮できず、また別の何かを言い訳にするのではないか。

自分の実力のなさを思い知りたくないから、言い訳を作っているだけなんじゃないか。

 

 

そもそも、コンディションが万全な瞬間なんて、誰しもそう多くはない。

人はいつだって何かしらストレスフルなものを抱えているし、体の調子だっていつもどこかが多少は悪いものだ。

 

そんな、一生涯不安定で、万全であることが難しい存在である「コンディション」とやらを言い訳にしていては、幻の理想の自分を夢想しつづける、残念な人生を送ることになる。

 

コンディションが本当に悪くても、言い訳して諦めたり保身に走ったりするのではなく、今この瞬間に意識を向けて、その中で自分のできることをしていく姿勢こそ、真に人生を生きたと胸を張って言うための条件の一つなのではないだろうか。

 

2016.12.