NEOISM

思想・流儀・価値観を綴るブログ

「強さ」の話

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肝が据わりすぎていると言われる。

メンタル強すぎるとよく言われる。

 

大学のミスターコンテストで炎上したり何度も批判を受けたりしても、折れることなくその状況を楽しむかのような振る舞いをしつづけたからだろう。

それは演出ではなく、素の自分だ。

 

ちなみにメンタルの強さとは数直線で表すことができるほど単純なものではなく、様々な種類があるだろう。

批判をモノともしない強さもあれば、大きな何かを失っても堪えられる強さとか、筋トレで自分を追い込みつづけられるタイプの強さだってある。

 

私の場合、少なくともネット上での批判に対して鋼メンタルが発揮されるほか、例えばヒッチハイクは楽勝でできるし、国内外での路上パフォーマンスだって問題ないし、ホームレス集団や麻薬の売人集団にも乗り込んでいけるけれど、某友人のように女性をナンパしたりということは基本的にできなかったりする。その手のメンタルは強くない。

 

もとから強かったわけではない。

ただ、中高大時代を通して様々な経験を積む中で、圧倒的な自己肯定感を養ってきた。

  

なお、不利な状況に関しても鋼メンタルは発揮されると自負しているし、冒頭のような声はその点に関する言及も含まれるのだろう。

 

しかしミスターコン参加~強制辞退~オリジナルコンテスト発起に至るまで、真に不利だと感じた瞬間は未だにない。

こんなものは茶番でありサーカスであるとハナから捉えていたし、常に何らかの対応策が見えつづけていたからだ。

まあ、そう感じているという点も、鋼メンタルの一部なのだろう。

 

例えば松屋動画で炎上したとき「就職に悪影響出るんじゃないの?」と何度か言われたが、まあ問題自体がショボいからというのもあるけれど、全く気にならなかった。

 

一貫して「ブッ叩かれるレベルの本当に悪いこと」をしたとは感じていなかったし、批判する人間はつまらない人生を送るただの叩きたがりか、急いでいてもエスカレーターで歩くことは一切しないタイプの頭の堅いルール偏重主義者だと思っていたからでもあるだろう。

あまりに価値観や生き方が違うとき、批判なんてものは宙を舞う埃に過ぎない。

 

もし仮にそれで就職がダメになっても、もっと面白い、胸の高鳴る選択をしつづけられる自信もあった。

 

 

好奇心と刺激を求める心に突き動かされつづけている。

仮に今後何か大切なものを失ったとしても、そのときの辛い感情を、味の抜けたガムのようになるまで噛みしめたいと思う。

人生の酸いも甘いも辛いも苦いも旨いも、それ以外の未知の味も、隠し味も、皆全て味わい尽くすことが、自分の人生の個人的な存在目的の1つだと考えている

 

人間、どうせ死ぬときには全てを失うし、全てが終わる。

だから、何かを失うことを、何かでダメージを負うことを恐れるのではなく、それすら何を享受するかに着目して、自分で道を描いていけばいい。

 

自分の人生により多くの波乱を起こしたい。掻き乱したい。

殻を破り続け、自分自身を更新しつづけたい。精神的な自由を拡張しつづけたい。

 

「困難が無い」つまり無難な人生/展開を歩むよりは、山あり谷ありのそれらを駆け抜けたい。

予定調和を崩しつづけたい。そうすることで見える世界を知りたい。

 

だからリスクを冒せるし、波乱も楽しめるし、身を任せられる。

「俺を動じさせてみろよ、人生」くらいの上から目線でいつづけられる。

 

受け取り方、姿勢、マインド、解釈。

それだけの話だ。

 

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2019.10.14