NEOISM

NEOが己の思想・流儀・価値観を綴るブログ

議論の本質を見失うな

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ある日、コロンビアのレストランで日本人の文化人類学者(中年男性)に遭遇した。

 

彼とはたまたま近くの席に座っていたことから会話が始まったのだが、初対面にして15分足らずで険悪なムードになった。

 

 

人類学的なとある事象に関して彼が述べた意見に対して、私が事実に基づいた意見を丁寧に述べると、彼は機嫌を損ね、もともとの無愛想さに攻撃性が加わった。

そして私が生物学的見地から別の意見を述べると、詳しく説明しても「それは有り得ない」と繰り返す始末。彼には生物学的知識はなかったというのに。

「有り得ない」とする根拠を尋ねても返答は一切なく、聞く耳も一切持たず、馬鹿にしたように頭ごなしに否定し続けた。

 

私が学生だからか若いからかは知らないが、ハナから舐めた態度であった。

そんな学生に意見されたことにより、プライドを傷つけられたと感じたのだろう。

もし私が学者や年配者だったならば、彼の態度は明らかに違うものになったはずだ。

 

 

こういった議論・話し合いにおいて、重要なことは何か。

 

勝つことでもないし、負けないことでもない。

論破することでも、相手を馬鹿にすることでも、自分の意見を通すことでもない。

 

互いの知識や見聞・意見を交換すること互いが学びを深めることより良い結論を建設的に導くことにこそ意義がある。

 

建設的なやり取りのできない彼の姿勢は、学者として失格だ。

人間について生涯をかけて研究している人間が、人間とこうも上手くやり取りができないとは、皮肉なものだ。

 

彼のように、そのことを履き違えている人間は珍しくない。

話し合いや議論をすることの目的を今一度意識してみることが、多くの人に必要なのではないだろうか。

 

2018.03