一喜一憂という言葉は、良い意味では使われない。
確かに、やってくる波に一喜一憂せずに泰然自若と平常心を保った方が、冷静に物事を判断して進めることができるだろう。
しかし私は「一喜一憂してもいい」と考えている。
喜怒哀楽は、生来身に付けている自然な感情だ。
そうした感情を誤魔化さずに、その都度我慢せずに噛みしめればいい。
どんな波が来ても心の底から鷹揚としていられる人ならいいが、そうでないのなら、感情を無理に抑えたところで、結局上手く消化されず、どこかで不具合が生じる。
自分の本当の気持ちが分からなくなり、知らず知らずにストレスが溜まっていく。
大きな波であればあるほどに。
問題なのは、一喜一憂した結果、やるべきことをやらなくなってしまうこと。
勉強なりスポーツなりで、納得できる良い成績を取ったとする。
それは素直に喜べばいい。
しかし、それで浮かれて鍛錬を怠れば、たちまち成績は下がっていく。
納得できない悪い成績を取ったとする。
それは素直に悲しめばいい。
しかし、それでショゲて鍛錬を怠れば、ますます成績は下がっていく。
動物的な感情を忘れず、かつ人間的な理性をも大切にする。
これが一番自然な在り方ではないだろうか。
自分の行為一つ一つを自覚しつつ、やるべきことを淡々と続ける限り、ガンガン一喜一憂していこう。
P.S.
あまりに波が大きすぎるときは、この限りではない。
2018.03