NEOISM

思想・流儀・価値観を綴るブログ

自分自身を自覚して生きるとは

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自分自身を自覚する、自分を客観視するという行為は、案外難しい。

 

自分のことは分かっている、できているように思えて、実は分かっていない、できていないなんてことがよく起きる。灯台もと暗し。

 

例えば私は「感情表現が乏しい」とたまに指摘される。

自分ではそんなつもりはあまりなかったので少々驚きだった。

「退屈なの?」「何考えてるの?」―これまで何度尋ねられてきたことか。

 

例えば私は、自分の文章は上手いと思っていた。

しかし、ふとライティングの本を読んでみたことで、それは勘違いであったことが自覚された。

 

 

自覚していないものほど、改めるにあたって伸びしろがある。

 

「自分はまだまだ」と自覚することから、無意識・無頓着であったことを自覚することから、成長は始まる。

 

「モテたい」と言っているのに誰が見てもダサいファッションをしている人は、その客観的なダサさを自覚できていない。一度そのことに気付いてしまえば、そこからの成長は早い。

 

そして、いかに自覚できていることの割合を増やしていくかが、人生のコントロール精度に繋がる。

スマブラで、自分の扱うキャラの技や操作性を把握していなければ、上手くコントロールできないし、効果的に戦えないのと同じ。

 

 

自分を自覚するには、自分を客観視するには、重要なことが二つある。

 

一つは、自分を出すこと。

もう一つは、同じ方向を向く人間と関わること。

 

一つ目は、能力でも作品でも、自分をしっかり表に出さなければ、自己評価も他者からの評価もしようがないということ。

出したモノのクオリティは、他人が判断するもの。

判断されるには、批評されるには、自信がなくても下手くそでもいいから出すしかない。

 

二つ目は、自分を他者と比較することによって、自分の立ち位置、自分がやっていることの価値が分かるということ。

自覚とは、他人の存在がなければ、なかなか生まれないもの。

世界に自分一人しかいなければ、比較しようがない。

だから、素直にダメ出ししてくれるような存在、痛いところを突いてくれるような存在は貴重だ。

自分は面白いだとか自分は足が速いだとか頭で思っていても、面白いと思ってくれる他人がいなければ、自分より遅い大勢の他人がいなければ、それはただの自己評価ミス。

お笑いをしていてウケないのなら、ウケているお笑いの人と、描いている漫画があまり評価されないのなら、評価されている漫画描きの人と、関わる中で学べることがたくさんある。


だから、自分を出すこと、能力を比較していくこと。そんな環境に自らを置くこと。

そうすることで、自覚が促進される。

 

 

そして、一度自覚したなら、そこからスピーディに成長するには

  • 相手との関係性に関わらずアドバイスを請うことのできる謙虚さ
  • 情報を上手く取捨選択できる嗅覚
  • 良いものは素早く取り入れる行動力
  • うまくいかなくてもすぐに軌道修正できる柔軟性

があれば、あとは時間の問題だろう。

 

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2018.09