NEOISM

思想・流儀・価値観を綴るブログ

いま何かに苦しんでいる人に送りたい言葉

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2017年春、私は赤い自転車に乗って、沖縄本島を廻りはじめた。

 

特に何も考えていなかった私はGoogle Mapsの示す山道ばかりを走っていた。(海岸線沿いの道は平坦で楽なのに)

自転車の性能的に上り坂を漕ぎきるのは厳しく、自転車を押しながら上ることが専らであった。

 

坂道を上るのは疲れる上に時間がかかる。沖縄の暑さも手伝って、なかなか体力を消耗する。

その過酷さゆえに、最初の方は帰り道を想像して本気でテンションが下がっていた。

 

 

ところが、そうして移動を続けるうちに、「むしろ坂道の方がいい」と思うようになっていた。

 

確かに、平坦な道を走っている方がずっと楽だ。

下り坂での加速を考慮に入れても、目的地まで最短かつスムーズに到達することができるだろう。

 

しかし、平坦な道からは、下り坂を駆け抜ける爽快感を得ることはできない。

 

想像してみてほしい。

1kmの下り坂を。

 

ペダルを漕ぐ必要なんてない。

蒸し暑い沖縄の空の下、涼しい風を全身に浴びながら、目の前に広がる光景を一心に楽しむことができるのだ。

 

 

「人生楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」とはよく言われる。

「人生は楽しいことばかりではなく苦しいこともある。逆も然り」という意味だ。

 

私はこのとき「人生楽あればこそ苦あり、苦あればこそ楽あり」だと強く感じた。

  

楽があるからこそ苦の概念が強化され、苦があるからこそ楽の概念が強化される。

常に満たされるなんてありえないし、仮に常に満たされているのならば、"幸福"や"有り難み"という概念は希薄なものになる。幸福とは相対的なものだ。

 

山と谷の標高差が、上りの苦しみとともに下りの快感をも増幅させる。

それと同様に、苦しみと快感の幅が広いほど、人生は面白いものになるのだと悟った。

 

酸いも甘いも味わってこそ、深みが生まれる。

だから、負の感情や局面も人生の醍醐味だ。

 

人生は坂道のように、苦労すれば確実に報われるとは限らないが、それでも的確なベクトルに向かって努力などを続ければ、下り道と同じように、きっと素晴らしい瞬間が待っているはずだ。

 

繰り返される坂道を行く中で、そんなことを強く感じたものだった。

 

 

負の局面、苦しさにはメリットがある。

 

苦しいときの方が、余裕がないときの方が、感情が掻き乱される

どうにかしないといけないから思考が活性化して、試行錯誤が促され、哲学が磨かれる世界が拡がる

 

感情を掻き乱されるのは決して楽なことではないが、精神的な成長のためには欠かせないものだ。

目標に向かって挑戦したり、あるいは意図せずとも苦しい状況に立たされたりする中で、葛藤が湧き起こり、感情が掻き乱されてゆく。

 

人生に失敗がなければ人生に失敗するともいう。

失敗しても生きる上で糧にできる何かが得られるのだから、リスクに向き合う覚悟さえあれば挑戦しない手はない。

 

たとえ逆境にあっても、きっといつか上に辿りついて、爽快な景色と下り坂を楽しむことができるのだ、と考えれば、少し気が楽にならないだろうか。

 

だからこれからも、逆境をもいとわぬ姿勢で、心の高鳴る方に向かって挑戦したり、苦しい局面に立ち向かったりして、感情を掻き乱されにいきたいし、それによって得られる快を享受したいし、転んでもまた立ち上がって前を見て、可能性を信じて希望とともに進んでいこうと思う。

 

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2018.02