NEOISM

思想・流儀・価値観を綴るブログ

人を見下すのは悪いことなのか

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人を見下すのは悪いことなのか。

人間社会において「悪い」と見なされるべき代物なのだろうか、という意味だ。

 

結論から言えば、私は決してそうは思わない。

 

特定の誰かを見て「バカらしい」とか「滑稽」だとか「愚か」だとか思うのは、ごく普通の感覚で自然なことだ。

それを認めないのなら、誰かを見て「凄い」とか「優れている」などと思うことを否定することになる。

 

何年か前、いい歳こいた某地方県議が号泣会見を開いたり、某お笑い芸人が夜の高校に忍び込んで生徒の制服などを大量に盗んでいたことが発覚したりして話題となったが、これらはバカらしくて滑稽で愚かだとしか思えない人が大半であろう。

 

 

問題なのは「本当にその対象を見下して然るべきなのか」ということだ。

 

「最近の若者はなっとらん」

「〇〇高校/大学の奴らは馬鹿だ」

「〇〇人は価値がない」

「夜の世界で働いている奴はロクでもない」

 

などと、所属や属性や肩書きやらで一括りに捉えようとする人は少なからずいる。

 

 

「たとえ集団の傾向として述べることができる事柄であっても、それが構成員全員に当てはまるわけではない」

 

そんな発想がまるでない、短絡的な思考の持ち主は案外多い。

 

 

人は自分の体裁を保つために、自分より下の存在を求めたがる。

ネット上では、誰かを見下し、誰かをこき下ろそうと躍起になる人々が目立つ。

 

観察者・傍観者として他者を見下す一方で、自分自身は虚構の見栄やプライドを張って中身がなく、当事者意識も情熱も持たずに生きているのだとしたら、浅はかさでしかない。

 

人間、ある程度成長すると何もかも知った気になって、あるいは知っているのが普通であると思い込んで、批評家や評論家になる。

 

しかし、自分がやったことのないこと、自分に出来ないようなことをした人に対しては、基本的に素直に感心する気持ちが持てる人間であって然るべきだと強く思う。


謙虚な気持ちは、視野が広くなければ、自分自身の取るに足りない部分を理解していなければ、決して奥底から湧き上がることはないのかもしれない。

 


私は思う。

観察力が重要であると。

 

人を見下すと言っても、その人の全てを知った上での判断ではあるまい。

大して相手のことを知りもせずに、一面的な情報で相手を仕分けするのは愚かである。

 

どんな人でも大抵はどこか優れた部分、尊敬できる部分がある。

それらを台無しにするような大きな人格的欠陥を感じるようなことのない限り、その人間を簡単に見限ってはならないと思う。

 
パッと表層や記号だけを見て「バカだ、愚かだ」と切り捨てて終わること。

相手がどんな属性・性質であろうが、基本的にまずはフラットな姿勢で観察・対話することで相手の深部を知ろうとしてから判断すること。

この二つには、天と地ほどの差がある。

 

しっかり観察すれば、「コイツ実は凄いな」「よく考えてるな」などと感心させられることだってあるだろう。

 

簡単に仕分けて見下すことによって生じる「機会や喜びの損失」

観察することによって生じる「時間的・労力的損失」

 

どちらを避けたいかはその者次第・状況次第ではあるだろうが、前者の方がつまらないと私は感じる。

 

2016.??