NEOISM

思想・流儀・価値観を綴るブログ

初対面の見知らぬ人に対してオープンになるために大切な3つの状態

f:id:neoism:20191212203741j:plain


問い/案を受けて答えるシリーズ第三弾。

今回の質問内容はこちら。(記事案/質問等は本記事最下段より受付)

 

理想社会の実現について。

たとえば飛行機で隣に居合わせた人のあいだに自然と会話が生まれるような、オープンに人間関係を築きやすい社会が好きだ。

なぜなら、自分はそのふとした思いがけない交流で、エネルギーを得て、そんな道草を辿って今まで生きてこれたと思うから。

それは無意識にも、あらゆる人に当てはまるようにも思う。

だから、ひとりひとりがオープンな気持ちでいる社会が必要だ。

では、個々がオープンな気持ちになるためにどんな土壌が必要だろうか?

もしこのような人々で構成される社会に賛同するとしたら、政治、経済、社会的アプローチの前に、Neo自身なら何をしますか?または何をしたらいいと思いますか?

 

「(初対面の見知らぬ誰かと)オープンに人間関係を築きやすい社会」は素敵だと思う。

1年間滞在した中南米では、日本に比べてフレンドリーでオープンな人の割合が明らかに多く、人間関係の構築が早かった。私が外国人だったから興味を持たれやすかった、というだけのことではない。現地の人同士を見ていてもその傾向は明らかであった。

初対面でも目が合えば微笑み合ったり、エレベーターで乗り合わせたら挨拶したり、ショップ店員が気さくだったり、というのが日本に比べれば多かった。

その場だけの関係であっても良い気分になるし、その場から発展して家に招待されたり一緒に遊びに行ったり旅行したりというようなさらなる機会の獲得が、日本にいるときよりも高確率で発生した。

 

しかしだからといって「ひとりひとりがオープンな気持ちでいる社会が必要だ」とは思わない。(論理の飛躍)

人間関係や交流は基本的に誰にとっても価値のあるものだが、その優先順位や「どんなカタチの人間関係を好むか」は人によって大きく異なる。オープンな人もいればそうでない人もいるという多様性こそが健全で面白く、例えば皆が皆"陽キャ"もしくは"陰キャ"みたいな社会はつまらないと思う。

だから、傾向としては個人的には望ましいとはいえ、「このような人々(だけ)で構成される社会に賛同」はしない。(同様に、例えば「知性のある人だけの社会」や「性格の優しい人だけの社会」にも頷くことはできない)

 

これらはさておき、質問者が求めているであろう解を導くための問いを整理・解釈・再設定する。

1.「見知らぬ人に対してオープンになるためにどんな土壌が必要か」

2.「私自身がオープンになれる土壌を作るために個人的にどんな取り組みができるか」

 

 

1.「見知らぬ人に対してオープンになるためにどんな土壌が必要か」

 

この文脈における「オープン」を構成するのは、以下の3つの状態であると考える。

 

①「コミュニケーションへの意欲がある状態

②「己の殻を破った状態

③「相手の心が自分に向けて開いた状態

 

順番に説明する。

 

コミュニケーションへの意欲がある状態

 

任意の誰かがオ-プンな気持ち、つまりコミュニケーションしたい気持ちでいるためには、ある程度の余裕が必要だ。(精神・身体・時間(・経済))

これは初対面であろうが既存の知り合いであろうが同じこと。

 

隣に居合わせた人に話しかけて交流するには多少なりともエネルギーが要る。

疲れているときは親しい人や心を許せる人以外とはあまり話したくないという人が専らだろうし、今にも失禁しそうなときに仲の良い友達と出くわしても、立ち止まって話したいとは思わないだろう。

体調が悪かったり強いストレスを抱えたりしていて余裕がなければオープンマインドは発揮されにくい。

 

好奇心/関心も重要なキーである。見知らぬ初対面の相手に僅かなりとも関心を抱かなければ、進んで会話をしたり人間関係を構築したりしようとは思わない。(ビジネス・行政上などの義務的・サービス的な場面は除く)

目の前にいる特定の個人に集中的に注がれる関心である必要はなく、「人間」という存在への普遍的関心でもいいかもしれない。

 

余談だが、「話したいことがあり、誰でも良いから話を聞いてほしい」という人の場合、飛行機で隣に座った人に一方的に自分の話をするかもしれないが、この場合は一方的な伝達であって相互性は薄く、無論「相手への関心」は比較的弱く、少なくともその時点においては人間関係を築くというのとは異なるものであると解釈する。

 

己の殻を破った状態

 

続いて2つ目「己の殻を破った状態」について。

 

話しかけたい誰かがいても話しかけるなどのアクションを取れないという場合、

目の前の相手への「好奇心/関心」も話しかけたいと思えるほどの「余裕」もあるのだから、コミュニケーションへの「意欲」はあると言える。

つまり、マインドがオープンであっても、それがアクションに結びつくとは限らない。

これでは現実に何も発生しない。頭の中の現象のまま終わってしまう。

 

この状況を打開する方法は2種類考えられる。

1つは「ガムシャラな勇気の発動」。

もう1つは「認識の転換(&勇気)」。

 

「恥ずかしい」「話しかけたら変に思われるかも」などというシャイで臆病な気持ちを抑えて「ガムシャラな勇気を発動」してアクションに移し、己の殻を破って心体ともにオープンになる。

 

あるいは「そもそも話しかけるのに勇気なんて要らない。恥ずかしがる必要もない。自分も相手も同じ人間、有機物質に過ぎない。宇宙から見ればその違いはあまりに取るに足りない。自分と他者の間に無駄な境界線を引く必要などないのだ」「知り合いとそうでない人の違いは、感情や思い出を抜きにすれば"以前知り合ったことがあるかどうか"でしかなく、ゆえに大きな境界を意識する必要はない」という具合に「認識を転換」して、客観的な視点から状況を捉えることで己の殻を破り、心身ともにオープンになる。

ただこれは簡単ではなく、慣れるまではある程度の勇気も必要になることが多いため、「(&勇気)」とした。

 

なお蛇足ながら、相手が明らかに危険人物であるにも関わらず無理に認識を転換した場合、痛い目を見ることになるリスクが高い。言うまでもなく、認識の転換には本能や勘との兼ね合いも重要である。

 

また、そもそも「勇気」も「認識の転換」も必要ない(そもそも殻がない・殻を感じない)人・場合はこの項目を考える必要はない。(例えば、生まれつき人前で難なく話せる人もいれば、多大な勇気を要する人もいる)

ただし、同じ人であってもコンディションなどによってその必要度合いは変化する。

 

www.neoism.xyz

www.neoism.xyz

 

相手の心が自分に向けて開いた状態

 

最後に3つ目「相手の心が自分に向けて開いた状態」について。

 

1つ目が自分目線、2つ目が自分目線または客観目線である一方、3つ目は相手目線が関わってくる。

 

いくら自分だけが相手に対してオープンになったところで、相手がオープンになってくれなければ、コミュニケーションは成立しない。

 

言い換えると、いくら自分に相手とのコミュニケーションへの意欲(余裕、関心)や己の殻を破る力(勇気、認識の転換)があったところで、相手が自分にそれらを抱かない限りは、真にオープンであるとは言えない。

 

相手の心が自分に対して(ほとんど)開いていないことには、話しかけても相手にされないし(無視・回避)、話しかけられることもまずない。会話が始まったとしても、警戒されてぎこちないものになってしまう。

 

相手の「コミュニケーションへの意欲」を大きく左右するもの、それは「相手の心が自分に向けてある程度開けるかどうか」である。

そしてそのキーとなるのは「相手に一定以上の安心感を与えられるかどうか」。

 

「話しかけられやすい」「よく道を尋ねられる」という人が存在するが、それは彼らが(意識的であれ無意識的であれ)安心感を醸し出しているから、人畜無害感があるからである。

人は通常、間違ってもラオウのような厳つい人に道を尋ねたいとは思わないが、それは言うまでもなく安心感がないからだ。ごく自然な、生命維持/リスク回避のための本能的/自己防衛的な反応に過ぎない。

 

コミュニケーション全般において言えることだが、相手を安心させる姿勢は非常に重要である。コミュニケーションの真髄は「想像力を以て相手を安心させること」と言っても過言ではない。

 

安心感を左右する要素としては、目つきなどの表情・顔つき・顔色・体の姿勢・体つき・体調・動作・態度・目線・挙動・服装・髪色・髪型・声質・声量・喋り方・歩き方・携行品・アクセサリー・タトゥー・人種・民族・性別・所属・肩書き・肌の色・周りにいる人の様子・人物に関する事前知識などが挙げられる。

もちろん主語が誰であるか、どんな状況・場面であるかによって要素も程度も変わる。例えば女性用トイレに男性がいれば、それがいくら人畜無害感のある男性だったとしても、女性は不安を抱いて警戒する。

 

なお、「己の殻を破る力(勇気、認識の転換)は話しかける側にとってこそ重要なものであり、話しかけられる側が意識/行使する必要性は比較的薄い。

しかし極端な話、もし話しかけてきた人がラオウのような身なりの厳つい人であったら、その人が実は善人であったとしても関係なく、話しかけられる側の人間は意識的あるいは無意識的に、この力を行使するか/できるかを検討しなければならなくなる。

 

2.「私自身がオープンになれる土壌を作るために個人的にどんな取り組みができるか」

 

前項で挙げた「3つの状態」を「オープンになるために必要な土壌」と考えたとき、オープンな人々が多い社会を実現するためには、例えば労働環境の改善や福祉の充実などで人々のストレス源や不安を軽減して「余裕」を持たせるなどといったアプローチが考えられる。

しかしここで問われているのは「政治、経済、社会的アプローチ」ではない。

加えて、周りの人々がオープンになるような取り組みではなく、あくまで自分自身がオープンになるための個人的な手段を問われているものと解釈した。

 

前項を踏まえると、考えるべきは私が「コミュニケーションへの意欲がある状態」かつ「己の殻を破った状態」かつ「相手の心が自分に向けて開いた状態」になるための具体的な手段ということだ。

 

コミュニケーションへの意欲がある状態(自分のマインドがオープン)になるために必要なのは「余裕」と「好奇心/関心」。

 

余裕:

精神的余裕:一人であれこれ考える時間・思考や感情をアウトプットする時間を持つ、物事を先延ばしにせず着実にこなす

身体的余裕:なるべく規則正しい生活や健康的な食事、充分な睡眠と運動など

時間的余裕:前もって物事を片付けておく、慢心してダラダラしない

 

好奇心/関心:

これを無理に抱くのは難しいし、無理に抱く必要などないと考えているので、基本的に取り組むことはない。

しかし、例えば初対面の人ばかりのパーティなどの席において特段話したいと思える人がいない状況において、「目の前にいる人たちは実はメチャクチャ興味深い人物である」という設定を脳内で作り上げるといった工夫は可能である。

 

www.neoism.xyz

 

己の殻を破った状態(自分のアクションがオープン)になるために必要なのは「ガムシャラな勇気」または「認識の転換(&勇気)」。

 

ガムシャラな勇気:

あまり難しく考えないようにして「1、2、3、4、GO」などと数えて一気に行動に移す、「ここで踏み出せなければ一生後悔する」と考える、など。コミュニケーションに限らず様々な場面で活きる。

 

認識の転換(&勇気):

「自分と他者の間に無駄な境界線を引く必要などない」「広大な宇宙や歴史に比べれば今自分がやろうとしていることやその結果なんて極めて小さな誤差の範囲に収まる」「既に知り合いである人もそうでない人も本質的には同じ」などといった認識を自分の中で改めて確認し、アクションにおける勇気の必要性を減らす。このことを日常的に意識する癖をつけておく。

 

相手の心が自分に向けて開いた状態(相手のマインドがオープン/できればアクションも)になるために必要なのは「安心感の提供/演出」。

 

私の場合、見た目(顔つき・表情・服装・アクセサリーなど)が厳つい傾向にあるらしいため、

・にこやかで優しい笑みを浮かべる

・整形して顔の造形を穏やかにする

・厳ついとされる服やアクセを身に付けない

・挙動不審感のない目線や動作

などといった工夫が考えられる。

 

ただし、これはあくまで「自分がオープンになれる土壌を作ることを優先した場合」の回答であり、現実にはファッションの嗜好性や金銭、割ける労力などとの兼ね合いでアクションが決まる。

 

では、自分以外の周りの人をもオープン系人間にしたい場合はどうするか?(質問者が聞きたかったのはこの問いである可能性があるため、一応答えておく)

別に私自身、自ら周りに働きかけてそうしたいとは思わないが、もしそうしたいとすれば「自分がオープンになることで様々な機会を獲得し、人生をエンジョイしているということを発信」する。つまり背中で見せる。それを見て「いいな」と思ったら参考にすればいい。

あるいは、オープンな人が多い地域に連れていく。現地で拒絶反応を示す人もいると思うが、人によっては確実にオープン性が増す。

 

余談

 

飛行機で隣に居合わせた人と会話が始まるとき、どんなプロセスを踏むことになるだろうか。

 

「何時に離陸でしたっけ?」「ちょっと通してもらってもいいですか?」「そのアクセサリーどこで買ったんですか?」などという具合に一方から突然話しかけるというパターンがまず1つ。

この場合、自分自身が「コミュニケーションへの意欲がある状態」(必要ならば「己の殻を破った状態」も)であり、かつ「相手の心が自分に向けて(最低限)開いた状態」であるならば、コミュニケーションが始まる。

 

そして、(たまたま)目が合うというパターンもある。

無論、目が合ってもどちらかがすぐに逸らしてしまえば基本的にはそれで終わり。

それを左右するのは自分と相手、双方の「3つの状態」次第だ。

双方が一定以上オープンな状態であれば、どちらかが、あるいは双方が微笑・会釈挨拶などしたとき、その場で会話が始まる可能性が生まれる。

そこからさらなる何かが生まれる可能性だってもちろんあるということは冒頭の通りだ。

 

初対面の相手の在り方を変えることはできないが、自分の在り方を変えることはできる。

初対面でのコミュニケーションの機会を少しでも多く獲得したいのであれば、厳つい表情をしないようにする(厳つければ目が合っても逸らされる=門前払い。まあ相手が血気盛んなヤンキーなどであったならば喧嘩などの機会が生まれうるが)などして「3つの状態」を良好にしておくことに加えて、なるべく目の前のリアル世界に意識を傾けることを心掛けた方がいいだろう。

たまには「イヤホンをしながら、スマホを見ながら、うつむきながら」ではなく、辺りを見渡して目の前に転がっているかもしれない新たな可能性を模索してみるのもいいかもしれない。

 

まとめ

 

「初対面の見知らぬ人に対してオープンになるために必要な土壌とは」

①「コミュニケーションへの意欲がある状態」(余裕、好奇心/関心)

②「己の殻を破る力」(ガムシャラな勇気の発動 or 認識の転換(&勇気))

③「相手の心が自分に向けて開いた状態」(安心感の提供/演出)

 

「リアル世界へのアンテナを積極的に張る姿勢」も

 

2019.12.12

 

 

結構くどくなってしまったように感じられる上に、疑問の解消に繋がるのかは怪しいかもしれない。ご意見や疑問、モレやダブリなどがあれば教えていただければ幸いです。

なお、この記事のように、こんなものをブログで書いてほしいなどというご希望・ご提案・アイディアをガンガン受け付けています。

日常の些細な疑問、哲学的なテーマ、エンタメ小説など、基本的に何でもOK。(ただし、的を得たものを書くために、なるべく具体的な設定が欲しい)

 

▼こちらから登録なしで匿名で投稿できます。

peing.net