NEOISM

思想・流儀・価値観を綴るブログ

宗教に関する私の基本スタンス

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大学入学以降、宗教を勧められることが多い。

キリスト教系、仏教系、新興宗教系など様々。

 

勧誘をいきなり拒否なんてしない。無視もしない。

時間のあるときは話に耳を傾けてきた。

 

日本においては宗教に対して悪いイメージが持たれがちだが、宗教とは基本的に平和なものだ。多くの場合、道徳的に良いことを教えとして発信していると思う。

でなければ世界の多くの人々の間で宗教というものが支持されることはなかろう。

宗教で救われたという人を何人か知っているし、それで良いと思っている。

問題なのは、それを私利のためなどに歪曲して利用する人間、利用されてしまう人間であることは言うまでもない。

 

しかし、結局いつも、この結論が出る。

「私に特定の宗教・信仰は要らない」と。

 

私の宗教観は、強いて言えば不可知論。

物事の本質は人には認識することが不可能であるとする哲学上の立場のこと。

無神論が「神は存在しない」と言い切るのに対して、不可知論は「神がいるかいないなんて人間には認識できないのだから議論しない」という日和見的なものである。

 

あと、宗教観とはちょっと違うが、「細胞は宇宙に似ているし、人体は人間社会に似ているので、全て循環しているんじゃないか」などという宇宙観も抱いている。

 

また、アニミズム的発想、つまり「生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方」には影響を受けている自覚がある。

例えば、何か大切にしていたモノを傷つけてしまったときは、謝りたい気持ちになったりする。

 

 

だが、そうした体系づけられた考え方よりも、私は自分を信じる。

 

巷の宗教には、私が「良い」と感じる教義・教訓だって探せばたくさんあるだろう。

だからといって、一部が良いのなら全体を信じるというのは盲目的だ。

良いと思う教訓は取り入れるだけでよくて、どっぷり浸かるのとは次元が違う。

 

例えば「日本が好き?」「コルォンビアが好き?」などという質問はよく投げかけらたものだったが、この手の漠然とした質問に、シンプルに「YES」や「NO」で答えることはできない。

好きなところもある。そうじゃないところもある。それが健全だ。

キュウリが好きかどうとかとは次元が違う。

 

もし仮に「絶対的に正しい道」や「絶対的に正しい考え方」が存在するのだとしても、そのような目の前に示されたものを鵜呑みにするのではなく、「自分で逐一選ぶ」「自分で考える」「自分で切り拓く」「自分で導き出す」方が、自分の人生を歩んでいると私は考える。

 

宗教などという誰かが作った考えの中に捕らわれて生きるのは息苦しく、思考停止に陥り自由な生き方・発想が制限されるのではないか。(それに時代は変わっていくわけであるし、噛み合わなくなってくるのが自然だ)

そして、信じた結果、何かが上手くいかなければ、その宗教やら教えやらを恨むことになるよりも、自分を信じて、それで上手くいかなければ全て自分に責任があると考えた方が、厳しいけれど建設的ではなかろうかと思う。

「人じゃなく神が作ったんだ」という人もいるかもしれないが、例えば仏教一つ取っても、仏典の解釈によって数多の宗派に分かれていることからも、もはやそれは基本的に「人間が考えたもの」と言っていいだろう。

 

 

宗教の対極として科学が挙げられることもあるが、そもそも宗教も科学も、「世界の捉え方」の違い「世界を見る尺度」の違いに過ぎない。

確かに宗教の「導きに従う」という発想は、一種の「囚われ状態」に思える。

しかし、そもそも人は皆個々の価値観に従って生きている。

だから、ことさら宗教に関してそのような感想を持つのもどうなのだろう、とは思う。

宗教は感情、科学は論理。だが科学が全てを説明できているわけではない。

 

宗教であれ科学であれ個人的思想や欲求、価値観であれ、皆何かしらを拠り所にして生きていることに変わりはない。

ヒトは、何かを拠り所にせずしては生きられない生き物だ。 

そして、個人的思想や価値観などというものも、生まれたときから身に付けているものであるはずはなく、結局は様々なものに影響を受ける中で化学反応を起こしながら築かれていくものにすぎない。

 

 

 

宗教が必要寄りの人と、不必要寄りの人がいると思う。

先述のスタンスを保持している私には、特定の一つの信仰は要らないというだけの話だ。

それよりは宗教でも哲学でも東洋思想でも、誰かが言っていた刺さる言葉でも何でも、様々な考え方から良いと思うものを柔軟に汲み取ってブレンドし、自分の思考・経験をベースに自分のものにする。

思考停止的に迎合するのではなく、自分にとってしっくりくる方法で付き合えばいい。

 

2018.某日