NEOISM

NEOが己の思想・流儀・価値観を綴るブログ

自殺をとめるのは善か

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「自殺は絶対にダメ」と主張する人がいる。

命には全て(同様に)価値があるのだから捨ててはいけない、と。

 

そうは思わない。

そんな価値観は、教育現場的正義らしい、聞こえの良い"道徳的"なものだと思う。

小さい頃からそう言われて育ったのだろう、それが染みついているだけなのだろう、無批判的に思考停止的にそう思っているのだろう、という感想を抱くだけだ。

 

では、自殺しようとしている人がいたら、私はどうするか。

 

結論から述べると「たとえ数年経ってもその人が変わらず死にたいと思っているであろうと判断するかどうか」で対応を決める。

 

「死にたい」要因が消失する可能性があるか。(低すぎないか)

当人がどれほどの期間真剣に「死にたい」と思っているかどうか。(一時的な迷いの可能性)

このあたりが私の判断基準となる。周りがどうとかはあまり関係ない。

 

生きることがどうしようもなく辛いと本人が思っていても、時間の経過や努力によって要因さえ取り除けば状況回復の見込みが生まれると解釈できるケースなら、私は耳を傾けながら、自殺を思いとどまるよう話をすることだろう。

 

自殺しようとしている人は、思い詰めるあまりに視野が狭くなってしまっている傾向にあり、他にいくらでも道はあるのに、そのことを考える余裕がなくなっているからだ。

 

そんなある種の一時的な迷いの中で「自分の生の今後」を決定してしまうのは、「今後得られる幸福」を放棄してしまうのは、酔っ払った状態でオリンピックに出るようなものだ。本領発揮できない。魂に悔いが残る。

 

とはいえ、状況に改善の見込みが全くないように見えたとしても、明日になったら大きな変化が訪れるかもしれない。でも、その僅かな可能性に賭けて辛い日々を送り続けるよりは、確率論的にコスパの良い方を選んでいいんじゃないかと思う。

 

まあ、「死にたい」要因を取り除くことが充分可能であるとしても、合理的な解決手段を実行できないほどに心が衰弱して視野が狭まってしまうものなのだが(鬱状態)、そうなってしまったら、抗うつ剤やカウンセリングなどが重要になってくるだろう。

 

 

以下、「このような理由で誰かが自殺を考えていたら、私ならこう考える」集。(細かい設定によって対応は違ってくるが)

 

ー恋人に振られた、死のう。

この感情は多くの場合一時的なもの。時間が経てば解決する可能性が高いので説得。

 

ー学校でいじめられている、死のう。

不登校になったり転校したりすることで外的要因を取り除いてから判断。

 

ー生活が困窮して辛い、死のう。

生活保護の受給などを検討してから判断。

 

ー職場が辛い、死のう。

退職、転職などをしてから判断。

 

ー家族との関係が苦しい、死のう。

離婚、離縁、家を出る、生活保護etc...。

 

 

ー半身不随で補助なしには生きられなくて辛い、死のう。

ー抗がん剤治療が苦しいし、そもそも回復の見込みがない、死のう。

本人にとってどう考えても幸福の絶対条件である価値が欠如していて取り戻せないと判断しているなら、アリだ。(ここでは健康や希望など)

 

ー若く綺麗なままで死にたい、死のう。

本人の価値観・美学に基づく冷静な判断なら、アリだ。

 

ー死後の世界に興味がある、死のう。

本人の探求心に基づく冷静な判断なら、アリだ。

 

ー散々生きてきて、生きることに飽きた、死のう。

ーそろそろ自分の人生に幕を下ろしたい、死のう。

仮に寿命が1000年なら、こういう人も結構いると思う。

なら、いいんじゃないだろうか。

 

ー〇〇への抗議のために、死のう。

費用対効果が優れていて、かつ本人が一時の気の迷い的にではなくしっかり納得しているのなら、一つの選択だと思う。

 

 

 

P.S.

生きたくて生まれてくるわけでもないが、死にたくて生まれてくるわけでもない。

 

細胞だって自殺する(アポトーシス)。

人間界を一つの生き物と見立てたとき、自殺は自然現象なのではないかとも思う。

 

2019.05.28