NEOISM

NEOが己の思想・流儀・価値観や日記を綴るブログ

旅路における会話に感じる導き

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NPOの人たちと、沖縄出身歌手のしおりさん

 

旅先で出逢った人と交わす会話には、何か運命的なものを感じることが多い。

そのことを最初に感じた瞬間について。

 

 

高校時代の終わり、第一志望の東大に落ちた日、後期試験のために翌日上京することが決まった。

もとは試験を受けたその日のうちに帰る予定であったが、不機嫌だった母に荷造りを早くしろとしつこく言われて喧嘩したことによって、しばらく家を空けようと思い立った。

 

ボランティアしている人ってどんな人たちなんだろう、素敵な大人と出逢えるかもしれない、との思いから、試験直後にネットカフェでボランティア情報をあれこれ調べた。

そこで、被災地のがれき撤去のボランティアを募集している震災NPO団体を発見し、体力が有り余っていたこともあってすぐさま「行きたい」とメールを送った。

間もなく電話がきて、今は撤去は終わり、農業などを中心に、心の復興をテーマに活動しているが、それでも来るか?と聞かれ、二つ返事で行くと伝えた。

その後、都内のネットカフェを転々としながら数日間観光などをしたあと、高速バスで宮城県の田舎に向かい、NPOの人たちと民家で共同生活を送りながら、そこで10日間ほど滞在した。

 

そんな中、滞在2日目に仙台にて開催された震災復興関連の団体が集う飲み会に連れていってもらったとき、震災で子供を亡くした40代くらいの女性と話した。

 

何かの文脈で  

「親はいつまで経っても子供のことが心配で仕方ないものよ」

と彼女が私に優しく語りかけた。

 

母と喧嘩して、連絡もなくその地にいたそのときの私に、実際に子供を失った彼女のその言葉は不思議と身に染みた。

そして、受験に失敗していくらか傷心の身であったにも関わらず強く当たってきた母への怒りの気持ちがスーッと和らいだ。

少し論理の飛躍があるので、覚えていないが実際はその二つの出来事を繋ぐ何かがあったのだろう。

 

 

人生のいかなることも、一秒先すら何が起こるかなんて断定のできない、偶然の積み重ねだ。

それは普通の日常ではあまり意識されないが、旅のような非日常の中では強く意識される。

それは旅自体が、日常から離れて自ら切り拓かなければ始まらないものであり、先が見えず、見えぬゆえに導きを意識するからなのだろう。

 

すると、これは今の自分にとって何かしらの意味のあるメッセージなのかもしれない、と感覚が研ぎ澄まされることになる。

だから気付きが多いし、それを他の何かと結びつけて、何かを学んだり、学んだような気になったりする。

孤独の中で自分自身に向き合う時間が増えるのならば、尚更だ。

 

 

2016.?